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Technical Advise & さくら古? 投稿者:布施院(川井)  投稿日: 7月24日(木)22時28分47秒
ジャカランダ栄子さんにはご投稿いただいたにもかかわらず、おそらく小生がHPのメンテナンスを行っていたときにご投稿いただいたのでしょう、いただいた投稿メッセージが消えてしまったとのクレームをいただいています。大変申し訳ありませんでした。ふと、思い出したのですが、この内容欄へ直接記入することが一番簡単ですが、一方で、Windows PCであればアクセサリのなかのおまけソフトであるメモ帳とかワードパッドなどで下書きをして、これをどこかに保存しておき、これらの文章をコピーしてこの掲示板の内容欄へペーストすると通信費の節約ににもなりますし、万一また、何らかの事故で書き込みが消されていても再度コピーしてペーストすればRecovery可能です。 将来、自分の書いたものを読み返すこともできます。また、以前に書き溜めたアイデアなども簡単にコピー、ペーストできます。ご参考まで。

ところで、さくら古さま、ですか〜? それにはまだ20年早いのではないでしょうか? まあ、あと20年から30年もたてば古桜、うば...などといわれても現実として受け入れなくてはならないときがくることは予想されますが、たとえ、娘がなんといおうと今はさくら子さまでいいとおもいますよ。 おかあさんを怪獣とはなんだと、サダムおじさんがしかってあげます! まだ尻の青い、めだかみてぇなむすめっこのくせにいばるな! えっ? 他人の娘を尻が青いとかめだかとかいうな!って、そんな怪獣みたいに怒らなくても...ウソです、ウソです。 ついに、Sammyの毒が私にも回ってきたみたい。(布施院=川井)

Sammyくんの毒 投稿者:さくら子 改め さくら古  投稿日: 7月24日(木)12時54分49秒
ほんとにぃー Sammyくんのお話は つば県の貴婦人を登場させて 意図した事がバレバレの台詞でした(-_-;)。読んでて・・・「にぶろーさん そんなにもててた〜?」って。(失礼)『私の高校時代の彼』なんて台詞。アスパラ子ちゃんのキャラだから言わせちゃうけど ほわほわさんには言わせないでしょ?アスパラ子ちゃん 喜ぶべきか?怒るべきか???

布施院さま もう少し ゆっくり のんびり まりちゃんの言うように テキトーに 管理人してください。・・・夜中には 寝ましょうよ・・・。

そして 私ごとで恐縮ですが ハンドル名を本日より 下記のとおり 改めますので ヨロシクー! 二人の娘が 曰く。『 お母さん 怪獣みたいなのに さくら子は アリエナイ ありえない!!』と。よって 『さくら古』 となりました。


Sammyの毒 投稿者:布施院(川井)  投稿日: 7月24日(木)05時55分03秒
どうもSammyの悪ふざけは今も昔のまんま、こんどはあだなを「そのまんま悪寒」とかに変更しようかな。 あなたの冗談といたずらは希釈して味わえば良薬、原液で飲めば劇薬。キニーネみたいなもんですね。みなさんもSammyの毒は気をつけて味わうようにしてください。まだまだ続く大河連続長編暴露私小説は始まったばかり。今後、どれほどの悪行のかずかずと暴露情報がでてくるか手に汗を握るものがあります。 
つば県の貴婦人もとんだ配役を勝手につけられていたようですね。Sammyさま、時効が成立していないいたずらには現行法が適用になりますので、いたずらはほどほどにしてくださいね。(布施院=川井)

失礼しました 投稿者:Sammy  投稿日: 7月24日(木)01時38分27秒
前回のHP掲示板で、Asparakoさんのくだりについて私の表現が稚拙なために、ジョークとして伝わらなかったようでゴメンナサイ。私は何も迷惑していないし、Sammyは女性にもてたともっと言いふらしてほしいとの意でしたが----許して下さい。
これを機会に直木賞を目指すつもりでしたが、勉強し直します。

さくら子さんの期待はうれしですが、あまりプレッシャーをかけないで下さい。私の寝不足につながります。

今日はもう遅いので二つだけ告白して終わります。
「告白@」
前にもふれたことがありますが、演劇部で夜遅くまで残っていた時のアクシデント(?)です。
場所は講堂隣りの男子更衣室です。テニス部の連中の靴やラケットを、着替えを入れる棚の後ろにほうり投げた話はしましたね。
実はもっと楽しいことがありました。あの当時、男子はトレパン(懐かしい名前です)をはいておりました。更衣室には置いたままの(我々の解釈は捨ててある)トレパンが何枚もありました。これを二人で、お互いに片方の足を持って引っ張るのです。これが本当に気持ちよく裂けるのでした。いけないと思いながらも、この誘惑に何度か負けました。いまでも機会があればやりたいくらいです。40年近く経って時効ですし、もともと捨ててあったものですから損害賠償には応じられません。

「告白(告発?)A」
このことはほとんどの方が記憶していないと思います。忍の隣の家からクレームがありました。どんなクレームかと言うと、忍のトイレからトイレットペーパーが投げ込まれたことでした。たぶん一度ではなかったのでしょう。朝礼で校長から注意がありました。この時誰がやったのかいろいろ噂になりました。A君じゃないか?B君じゃないか?皆の話の中では、きっと犯人はAかBになっていたと思います。実は、真犯人は私ことSammyと常に一緒にいた背の高い御仁でした。卒業して何年もしてから事実を知りました。彼はその時、やったやつはきっとあいつだと他の人の名を言いふらしておりました。

今思えばかわいい悪戯ですが、いろいろやりました。           つづく

レトロishikawaさんのProblemについて 投稿者:ほわほわ  投稿日: 7月23日(水)10時53分24秒
布施院様 詳しい説明ありがとうございました。

私もここで述べられていることをひとつひとつ確認していこうと思いますが、現在自分は不自由していないのと、今時間がないので確認作業は多分土曜日になります。
お忙しいところここまでやっていただいたのに自分の都合で遅くなるのは心苦しいです。申し訳ありません。

レトロishikawaさん よかったですね。これをひとつひとつ確認していくと何が問題だったか明らかになっていくと思います。布施院さんがここまで確認してくださり、それをここまでまとめて下さった陰にはおそらく相当の時間を要したものと思います。以前にご自分の書いたことを理解されなかったことはそれはそれで悲しかったことだったと思いますが、ここまでサポートして下さったのであとは私達でなんとかしていきましょう。

きっとしばらく後にはあとからはいってきた人で、同じような問題にぶつかったかたにサポートできるようになるかもしれません。がんばってみましょう。

ほわほわ(染谷)


お帰りなさい! 投稿者:さくら子  投稿日: 7月22日(火)17時12分26秒
    Sammyくん & 54期元気組さんたち。
わたくしたちの熱いメッセージがやっと届いたんですね。Sammyくんが HPの舞台から おりてる間 華々しく賑やかに たくさんのクラスメートたちが 登場して読者を楽しませてくれました。私 高校時代のSammyくんの舞台では それほどファンではなかったけど(まりちゃんもそうだと思う。) HP連続長編大河暴露私小説の達者な語り口は 読者を虜にしちゃってます。フィクションじゃないっていうのも 魅力のひとつ・・・ね。Sammyくん ティシュペーパーのお仕事 ちゃんとやりながら どうぞ ゆっくり 末永く続けてください(^_-)-☆ 我が愛すべき 演劇部の貴重な男子へ。


高尾山からの 無事のご生還(なんて大袈裟なんでしょ) ほわほわさんお疲れでしょうに 早速HPの皆に報告ありがとー。石川さんのお話は高尾山の美味しい空気と メンバーの顔ぶれどうりの賑やかさ&楽しさが伝わってきて。・・・それにしても 布施院定くんは 行かなかったの〜?『八甲田山死の彷徨』に似た恐怖を感じていたようで・・・さては おじけづいたのカナ?(?_?) 

そうそう・・・ それから よこちんの姿が チラホラと。HPの舞台の袖で 可愛らしく緊張して ニコニコしてデビューの準備してるのが 見えてます!!楽しみに 待っていますねェー。(*^_^*) 

ふと 思ったんだけど 54期同窓会の ニックネーム or ハンドル名 なんか あったらおもしろいかな〜なんて 思ってますが? いかがでしょうか?
私の長男(32歳)の母親達でつくってる家庭教育学級のグループは 『ひばり会』。
読んで字のごとく・・・そういう意味ですが(^^♪・・・。  

37年も、0年。 投稿者:レトロ Ishikawa  投稿日: 7月22日(火)10時44分31秒
昨日は、お世話さまでした。高尾山は、やはり30年振りかしら。
同じクラスになった事のある、とても心配りのある、太田のぶゑさん、告原さん、
大塚さん。そして二村君。お互い同期でも、話をした事のない方で、とても親切に
して頂いた清水千恵子さん。紀久子さん。大石さん。寡黙だけれど、大事な事を
そっと、注意してくださる山田さん。にぎやかだけれど楽しい奥田さん。
頂上での昼食の時の皆の歓談。時々笑い転げておりました。
37年の歳月も全く感じなくて、話に花が咲くのは、同期である、そして皆
(私だけかな)大人になったということかしら。
高尾山は登り始めは、霧がたちこめ、まるで墨絵の様でした。
歩く足許に、雨で一段と美しさを増した、そして自分を主張するように咲いている紫陽花、百合の花。
下山の途中、一時的に大雨が降りましたが、これも山の天気の特徴のひとつ。
(ただし、天気予報は、雨。)最後のケーブルに乗る前に今までの天気が嘘の様。
雨雲が、全ての塵を一掃して、周りの山々がくっきりと現れて、心が洗われる思い。
晴れている時の景色より、何倍も綺麗でした。
参加して本当に良かったと思います。
これも川井さんのホームページのお蔭です。

それから川井さんパソコンの私の問題点の懇切丁寧なご説明を有り難う
ございました。
基礎から習ったわけではないので、あやしいところもありますが、
少しわかりました。またじっくり、読み返し」ます。
てもいいかげん(良い加減)??の私、あまり悪戦苦闘はしていません。
ほわほわさんも、ありがとう。
今日は、ワードパッドよりいれてみます。
色々と、本当に有り難うございました。
これからも、よろしくお願い致します。


人生いろいろ 投稿者:布施院(川井)  投稿日: 7月22日(火)01時36分46秒
1) ジャカランダ栄子さまの投稿したときにはおそらく僕はまだ例のたたりとたたかってHPの修復作業中であったと思われます。意図的には消しません。でも、ごめんなさい。もう一度書いていただけないでしょうか? そうでないとジャカランダファンクラブのメンバーからなにをされるかわからないのです。
2) Sammy comes back! (こんなエルビスのLPが昔ありました)。本当に絶筆したかと心配しておりましたが、熱い女性ファンの声援に迎えられて再登場する貴殿は本当に幸せです。連続長編大河暴露私小説というあたらしいジャンルを確立した貴殿には今後とも締め切りを守って、かならず毎週最低1回はご投稿いただくように女性全員が期待しております。
3) 高尾山: 僕は急遽不参加で、住みませんでした。 大雨土砂崩れ雷突風鉄砲水土石流注意報のなかよくも登頂を完遂させ、全員無事でご帰還なさいました。 二村隊長以下、アスパラコ二村隊長の代理人、山田宏3B木口小平従軍カメラマン、ほわほわ、レトロIshikawa、奥田茂(3D)、太田のぶゑ、大塚知子、大石デメの皆様がずぶぬれでご帰還なさいました。やれ、富士山も見えた、駿河湾も丸見えだった、ハワイやロスまでみえたと、うそばればれの主張をなさっておりました。おそらく、下着までぐしょぐしょに濡れ、八甲田山行軍の一歩手前の状況のなかで、コタツでみかんをたべるような錯覚をしていたものと思われます。
無事新宿までたどり着いた生還祝賀大パーティーだけはかの馬道のお嬢様のともに小生も参加させていただきました。 ハイキングの証拠写真は別途投稿写真コーナーごらんください。祝賀パーティーではもと野球部奥田茂君から当時グローブのような手の持ち主とあだなをもらった馬道のお嬢様は40年間抱きつづけていたなにか大切なものが音をたてて崩れていくのを感じたといっていましたが、なんのことかは良くわかりません。(布施院=川井)

高尾山無事帰還報告 投稿者:ほわほわ  投稿日: 7月21日(月)22時37分30秒
高尾山行ってきました。雨もなんのその、あー、よく笑った。皆様、ありがとうございました。
高尾駅で別れるまでは全員無事でした。その後についてはいずれどなたかから。

Sammyが戻ってきました 投稿者:Sammy  投稿日: 7月21日(月)22時22分14秒
大変長らくご無沙汰いたしました。
恥ずかしながら戻ってまいりました。グァム島から帰ってきた横井庄一さんのような気持です。
いろいろなことが同時期に重なり、今風に言えば公私共にチョー忙しく、HPを覗く余裕すらありませんでした。つまり、Sammyに戻れず本名(田中三郎)での生活を強いられました。
その間、まりちゃんからのメッセージ・さくら子さんからのメール本当にありがとうございました。参加しようにも、留守中の多くの投稿に目を通し状況を把握する必要がありました。新しい
参加者も増え、追いつくのも大変です。
でもクール子さんのように割り切って、自分の都合と気分で参加すればよいと考えることにしました。
私の留守中にすっかり人気者となっているつば県(名前が気に入っています)の貴婦人清水タドンさん=アスパラ子ちゃんに、お尋ねしたいことがあります。最近は、私が住んでいる同じつば県の南流山のプールには来られていないのでしょうか?そうであればひと安心です。
いずれにしても、一つお願いがあります。プールでのお友達のYさんに、田中三郎は高校時代の私の彼だった言うのはやめてください。
Yさんは私が住んでいるマンションの方で、妻の知り合いでかつ駐車場が隣どうしなのです。Yさんから妻を通じて事実を確認され、その後駐車場で顔を合わせた時の私のはずかしさを想像して下さい。わが妻にも、Sammyの世界は開示していないのであります。
布施院=川井様
だいぶ以前に話が出ていた(?)東京オリンピックのリハーサル参加の件ですが、あれは昭和39年(1964)10月3日のことでした。翌日の新聞に、日本選手団としてかの笠井由美子さん等が載っていたのを記憶しております。ちなみに私はベネズエラであったと記憶しております。ご報告まで。
あいにくの天気でしたが高尾山は如何でしたか?
しのぶでのお話は次回から。それでは又。